■建築研究報告 |
大震時における総合的被害予測モデルに関する研究 第六研究部 建築研究報告 No.78, 1977 建設省建築研究所 |
<概要> |
故河角広博士は、昭和39年7月の国会地震対策委員会の証言において「南関東大地震69年周説」を発表し、首都圏の地震対策の早期着手を要請した。この河角説は、センセーショナルな反響を呼び起こし、誇張され巷間に流布した面もあるが、「全く確率論的統計学的方法により、単に鎌倉の強震だけではなく、東京における強震の発生にも同様な周期性があり、実際の地震史に裏付けられ」ているものである。すなわち、「関東南部における強震の発生には69±13年の周期性が明瞭に存在し、次の周期にあたる年は1991(昭和66年)年であるが、その前後上期の標準偏差13年(筆者はそれを危険期と名づけた)の全強震の75%は集中し、その他の期間の強震発生の時間的平均確率は上の危険期の1/4であり、この程度の強震発生確率は地震国日本においてはむしろ低い地方に相当する」(参考文献1)より引用)というものである。この河角説に対していくつかの反論や同様の周期説の提案がなされてきているが、河角博士の真意は「全国人口の20%を擁し、政治、経済、文化等の諸方面からは人口比に数倍する重要性をもつこの日本の首都圏には、大きな危険と問題点が山積しており、その難点を解決し、国と民の危急を救うための諸対策の実施はすでにおそきに失する時の緊急性があることをここに指摘し早急に国も、国民も一致して、その対策にとりかかり、早期完成を計るべきことを強調したい。」という点にあったのであろう。この要請を受けて、東京都は防災会議の中に地震部会を設置し、地質・地盤、建物等の耐震性、危険物、市街地性状、火災の延焼、被害想定、情報管理体制、社会心理、避難行動、避難施設等各分野の研究をおこない2)、河角説の危険期に入る昭和53年を目標年次として江東防災拠点の建設等各種の防災計画を立案してきている。 一般に、防災計画の立案にあたっては、建物の不燃焼・耐震化、防災帯の設置等のいわゆるHardな側面への指向と、ひとたび災害に遭った場合の人的被害を食いとめるための避難計画・啓蒙活動等のSoftな側面への指向とがあるが、Hardな側面への指向は多大の時間と費用を要するのが常であるため、不意に襲いかかる地震に対処してHardとSoftとの両側面を包合し、両者のバランスを充分に考慮することが必要である。 各種の計画にあたって、重要な要素となるのは、その計画条件を予測することにある。すなわち、道路計画においては交通量、商店街再開発では売り上げ高等の予測が基本的な計画条件となるが、地震防災計画の立案にあたっては、計画対象地域の被害予測が重要な計画条件となり、この被害を最小限に食い止めるような方策を計画に盛り込んでゆかなければならない。地震時における被害は、建物・橋梁等の崩壊やそれによる人的被害のような震動による直接的なものと、堤防の欠壊に伴う水害、出火からひきおこされる大火、これからの住民の避難等のいわば2次的な被害とに大きく分類される。これらの個個の被害については従来から各分野の検討が進められ、解明された点も多々あるが、我国の大都市においては、その都市構造の複雑性の故に、個々の被害が相互に関連し合い、互いに被害を拡大させる面があることは否定できない。 ここでまとめた報告は、昭和48年度から3ヶ年間にわたって科学技術庁特別研究促進調整費−特調費(科学技術庁研究調整局生活科学技術課担当)−によっておこなわれた「大震時における総合的被害予測手法および災害要因の摘出手法に関する総合研究」(表2−1の研究計画参照)のうち(財)日本都市センターに委託された「(2)大震時における総合的被害予測手法および災害要因の摘出手法に関する研究」の3ヶ年間の研究成果をとりまとめたものである。当所第六研究部では、この特調費の予算要求段階から研究フレームの作成にたずさわり、研究の推進段階でもその管理・指導をおこない「大震時における総合的被害予測モデル」の構築・ケーススタディ等の方針立案・決定をおこない、
が委員会、分科会等の運営にたずさわってきた。さらに最後に示した委員リストのうち研究幹事会は、総合的被害予測モデルの構築にあたっての作業指導を、
の研究幹事がおこなった。 本報告のとりまとめにあたっては、当所第六研究部都市開発研究室研究員熊谷良雄がおこなっているが、上記研究幹事の執筆した各年度の報告の多くを引用させていただいている。 |